aska-burnishstoneブログ発見

さて、2016年1月初旬、話題沸騰となったASKAのブログにどっぷり取り憑かれた私は、その後血眼で続きを探すものの、徒労に終わった。

仕方なく、ブログのことは忘れるよう努めた。

忙しい日々にまぎれ、時が過ぎていった。

 

2016年8月下旬。

私は海外出張に出かけていた。

その宿泊先ホテルで、久しぶりにチャゲアスの音楽でも聴こうかと、シャワー浴びたり日常の動作を行いながら、誰かがyoutubeにあげたチャゲアスのメドレーを流し聴いていた。

 

そのとき、何が私をそうさせたのだろう?

何気なくブログのことを思い出し、「ASKA ブログ」と検索したのだったと思う。

すると、aska-burnishstoneというブログが目の前に現れたではないか!

貪り読んでみると、1月のブログの時と同様、これは本人の手によるものだという直感が貫いた。

どうやら、ASKAは7月に、一ヵ月の期限付きでこのブログを始めたようであった。

それからの私は、昼は仕事だが、夜はホテルで最初の日記から、すべてを読むことが楽しみになった。

8月の「ありがとう。」と題されたブログにあっという間に追いついた私は、自分がやって来たのが一足遅かったことを嘆いた。

なんということだろう、リアルタイムでこのビッグスターがブログを書いている時期を逃すなんて!

しかもコメント欄は解放、膨大なコメントすべてをASKAは読んでいると書いている。

 

だが、嘆くには早かった。

彼は、頻度は落ちたものの、時折ブログに現れては、レコーディングの状況などを報告していた。

ASKAのブログの文章は、生き生きとしていた。

作家のように文才があるというわけではない。

誤字脱字も多いし、素人の文章ではある。

しかし、独特の言葉の選択、テーマの選択があり、彼なりの視点を見せる点で、とても魅力的だ。

こうした文章を綴っているASKAは、ブログを続けることで精神的にも強い芯を得ていっているように見えた。

活動の指針をファンに示す場であり、さらに示すということで彼自身のモチベーションを確固たるものにしていくような場。

だから、細々と続けてくれるんじゃないか、そうなるといいなという明るい希望が私にも兆したのである。

 

 

なお、ブログを見つけたその日に、私もさっそくコメントを書き記した。

だって、二十数年前、コンサートのチケットが手に入らなかったビッグアーティストがだ、ブログやっていて、しかもコメント残したら読んでくれるかもしれないなんて!

世の中、どういうふうに変わるかわからないものだ。

 

果たして、彼のブログは現在でも、不定期更新ではあるが、大事なファンとの架け橋となっている。

 

(そういえば)再燃のきっかけ2

前回、2016年1月のASKAブログを読んだ後、「higher ground」と「RED HILL」のAlive in Liveバージョンを観て衝撃を受けたと書いた。

 

そういえばもうひとつ、衝撃を受けた曲があったのだった。

ブログを読んだ後、ASKAの情報をネット上で探しまくっているうちに、「Be Free (DEMO)」の動画を発見した。

ASKAが逮捕前にファンに送ったと言われているデモ音源だ。

これは、その時のファンにとってはトラウマとなっている曲らしい。

 

が、私は正反対だった。

耳にすることができる直近のASKAの作曲が、相変わらず素晴らしいことを確認できたのだ!

higher ground」と「RED HILL」の新アレンジが素晴らしい、とはいえ、所詮は過去に書かれた曲のバージョン違いだ。

だが、「Be Free」は最新曲だ。

その最新曲が、昔のASKAの曲と同様に、惜しげもなく贅沢にメロディーを使って圧倒してくる。

この人からは今でもメロディーが溢れ出してきているんだ、ということを実感させられた。

 

さらに歌詞も良い。

初回逮捕時はファンクラブに入ってもいなかったし、固唾をのんで見守っていたわけでもなかったから、曲によって事件の時の記憶がフラッシュバックすることもない。

ただただ、歌詞が本当に素直な彼の苦しみを吐露しているようで、胸がしめつけられた。

さらに、その歌詞が明るく爽やかなメロディーに乗せられていることで、切なさが倍増した。

それまではどこか遠くの人の出来事に思えていたが、この曲を聴いてから「ASKAすごく辛かったんだな、それを他人に言って甘えることができなかったんだな」と、急激に心が寄り添っていくのが実感された。

 

今年2月に発表された新アルバム『Too many people』に、この曲が装いもあらたに収録された。

私はそれを聴いて、鼻筋が熱くなるのを感じた。

youtu.be

再燃のきっかけ

「私とCHAGE and ASKA」シリーズ、前回からのつづき。

 

彼らの動向を追わないままで20年ほどが過ぎた。

ごくたま〜に新曲をyoutubeで試聴することがあっても、ASKAさん喉の調子が悪いなぁ、曲もあまり響いてこないなぁ、という印象を抱くだけだった。

そして好きだった過去の曲を時折思い出しては聴くだけだった。

 

それで充分だった、なぜならば私はすでに、自分の音楽の好みを確立し、積極的にお気に入りのアーティストを見つけ出せるようになっていたからである。

CHAGE and ASKAにはまる前には、音楽シーンなど一切知らず、クラシックしか知らなかった私が、ある意味彼らのテイストによって私の中に眠っていた音楽の趣味を掘り起こされたようなものだ。

そもそもクラシックも、転調・不協和音・変拍子が入ったものに惹かれていた。

不協和音といっても、不快感を煽るタイプのものではなく、甘美に心をひっかかれるようなタイプのものである。

CHAGE and ASKAにおいては、とりわけASKAの作る、転調の入った曲に多いにはまったわけだ。

であるならば、他のアーティストにおいても、転調・不協和音・変拍子を取り入れている作品を探せば良い。

実際、世の中にはとても魅力的な音楽があふれていた。

洋楽ならメジャーでもNirvanaRadioheadBjörk等がいた(彼らがメジャーで大人気を博しているのは、洋楽の懐の広さを示していると実感する)。

邦楽ではキリンジクラムボンFishmansPolarisAPOGEE等がいた。

インディーズに探索の手を広げれば、それこそあまたの素晴らしい音楽があった。

それらを追って深みにはまっていくと、音楽の楽しみには事欠かなかったのである。

 

そんなとき、最初の逮捕がやってきた。

2014年5月、ASKA覚せい剤取締法違反で捕まったのである。

しかし、私の反応は鈍かった。

当然20年も彼らの動向から離れていたので、もうファンという自覚はなかった。

しかも洋楽に慣れきっていたので、衝撃すらなく、「ああ、やっぱり良い音楽を作る人は日本でも薬をやってたりするのかな」ぐらいの感想だった。

愛人報道については、かつてより「僕はこの瞳で嘘をつく」や「HOTEL」なんかを聴いていたので、まあ当然いただろうな、ぐらいの認識だった。

ただ、日本の社会が過剰反応を示し、CHAGE and ASKAのCD等を販売禁止にしたという報道にだけはやや動揺した。

「これはプレミアがつくかもしれんぞ、その前にちょっと買っとこうか」と思い、それまで持っていなかったベストアルバム『SUPER BEST II』を中古で買ったりするぐらいの行動は起こした。

あとは、同僚に「彼らの音楽はやっぱりいいですからね、今のうちにCD買っとかないと、プレミアがついて高額になりますよ」と電車の中で力説していた記憶もある。


同年7月、ASKAが保釈された日は、たまたま近所の病院におり、待合室のテレビで拳を握りしめてお辞儀をする彼の姿を見たことは覚えている。

この時さすがに、窮屈な日本でこういう事件を起こしてしまったからには大変なことになったんだな、という実感がようやくわいたような気がする。

 

それから再び、忘却の時期がやってきた。

 

2016年1月9日。あるいは翌日の10日だったろうか。

私が真の意味で衝撃を受けたのは、この日である。

その夜は、週末の夜で、私はごろごろしながらTwitterを見ていたはずだ。

そのタイムライン上に、ASKAとおぼしき人のブログが発見されたというツイートがまわってきたのだ。

とても長い文章だったが、文章を読むのがわりと好きな私は、早速読み始めてしまった。

 

読み始めた瞬間、私は緊張した。

なぜか、これはASKA本人の文章だと直感したのだ。

それは、文体からだったのか、彼の精神が現れた内容のためだったのか。

その時点ではまだ、本人かどうかは不明ということになっていたが、私は確信していた。

長時間をかけて読み終わった時、私は完全にASKAの眼をとおして伝わってくる世界に入り込んでいた。

胃に重い拳がめりこんでくるような、お世辞にも快感とはいえない感覚だったが、完全に意識が虜になって逃れられないという感じだった。

彼のくぐり抜けて来た辛い道のりを一緒に歩んだような錯覚がした。

 

それからブログは消されたが、私は彼がまた新しいブログをアップするだろうと思って、必死でネットの海の中を探しまくった。

果たして彼は色んな大手ブログで日記を更新していた。

むさぼるように読んだ。それらもまた消された。

キャッシュをまとめたページがあるので、それを記念に貼っておく。

https://web.archive.org/web/20160112214836/http://blogs.yahoo.co.jp/windblown_ngc/

 

普通の人ならおそらく気持ち悪いと思うだろうこれらのブログを、私は、非常に心理描写力に優れた手記か小説に感情移入するように読んだ。

 

それから、私がCHAGE and ASKAから離れた空白の時代の楽曲を、ふたたび探して聴いてみた。

すると、youtubeで「higher ground」「RED HILL」が一続きになったライヴ動画に巡りあったのだ。

higher ground」には、楽曲・歌詞・歌唱パフォーマンスともに衝撃を覚えた。

まるでブログの世界から連続しているようだった。

作曲年代をみると、ASKAが自ら薬をやっていたと認めている時期よりもずっと前なので、関係ないのかも知れないが、やはり核の部分にこういう世界観を持っていたということなのだろう。

さらに「RED HILL」は、このライヴで新しい編曲を経て鳥肌もののパフォーマンスに生まれ変わっている。

リアルタイムで『RED HILL』のアルバムが出た時には私はまだファンだったが、当時はさほど強い印象を受けなかったのに。

私は、かつての自分が拙速な判断をくだして、CHAGE and ASKAから離れていったことを悔いた。

一曲や二曲気に入らなかったからといって、その後の発展の可能性を見ようとしなかったことに後悔した。

そして、ASKAの才能が埋もれることのないよう、これからは見守ろうと決意したのである。

 

なお、私が衝撃を受けたこの動画は残念ながら後日youtubeから削除されてしまったが、一曲一曲分割された形でニコニコのほうで見ることが出来る。

www.nicovideo.jp

www.nicovideo.jp

MV第二弾!

『Too many people』から二つ目のMVが発表された。

「しゃぼん」

 

www.youtube.com

 

前回のMVアップが深夜0時だったため、「寝不足になった」と言っているファンが複数いたからか、今回は昼間にアップされた。

さすが気遣いの人、ASKAさん。

 

2年半の蜜月と酔い醒めの期間

ここ数日は、ASKAさんのMV「と、いう話さ」にかまけておりました。

 

さて、前回はいかにしてCHAGE and ASKAを好きになるに至ったかを語った。

まあ、その後はもっぱらASKAに恋していた。

こんな歳の差のおじさん(※)に夢中になるなんて自分も酔狂だと思いつつも、常にASKAのことを考えていた。

毎日テレビ欄に名前が出ていないか、隅から隅まで舐めるようにチェックし尽くしたし、ハワイに初めて海外旅行に行った折りには、同じ飛行機に乗り合わせていないかドキドキしたものだ。

芸能人はよくハワイに行くと聞いたもので。

今から振り返ると、芸能人がみんなハワイに行っているわけではないだろうし、ASKAはハワイにはあまり興味なさそうだが。

 

※当時の私の頭の中では、30代は完璧なる「おじさん」のカテゴリーに分類されていたものだが、ASKAに出会ってその定義を修正せねばならなくなった。小説を読んでいたとき、30代の主人公が「青年」と書かれていたことがある。母親に「30代は青年?」と確認をすると、「うん、まあそうだね」と同意を得たので、そこからはASKAは晴れて「青年」のカテゴリーに属すことになった。

 

しかし、コンサートには行くことができなかった。

人気のあまり、チケットがとれなかったのである。

あれは確か「史上最大の作戦」の時だったのだろうか、当時「ちょっと良いな」と思っていた子と公衆電話から電話をかけて、チケットをとろうと試みたことがある。

 

余談ではあるが、気の多い私は、心の中で常に「ちょっと良いな」と思う子を複数ノミネートしていた。

「ちょっと良いな」というのは、何が良いかというと、顔だった(大真面目)。

私は当時、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』と、ヴィスコンティ監督による映画化作品にいたく影響を受けていたので、唯美主義だったのである。

件のその子は私と同じくCHAGE and ASKAのファンだった。

私たちは二人ともファンクラブには入っていなかったので、一般枠でチケットをとろうとして、受付開始時刻のちょっと前から電話をかけまくったが、開始時刻前にはまったくつながらず、0分になった瞬間につながった電話は、「売り切れました」との自動案内メッセージが流れるのみだった。

 

今から思えば、なぜそのチャゲアスの君とどうにかデートにでもこぎつけていなかったのだろうかと悔やまれる。

チケットがとれたら一緒にコンサートに行く気はあったのだから、デートもなんとでもなったはずだ。

しかし、(1)恥ずかしくて勇気がなかったのと、(2)唯美主義すぎるあまり、顔の造形をこっそり鑑賞する以外に特に何か行動をおこしたいという欲求をみとめなかったのと、(3)とはいえ、やはりASKAに恋する気持ちが勝っていたのとで、心の動きは言語化されないまま流れていってしまった。

今は、そのチャゲアスの君も、どこかで(当時ほど美しくないであろう姿で)ASKAの復活を願っているのではないか、と想像する。

 

そんなこんなだったが、私のASKAに対する恋慕は急速に温度を下げていく。

「YAH YAH YAH」がドラマにタイアップされ、CHAGE and ASKAの人気絶頂ともいえるヒットとなる。

これが、私の気に入らなかったのである。

「GUYS」のプログレ感とは打って変わって、わかりやすすぎるのだ。

シンプルすぎた。すぐ飽きた。歌詞にも共感できなかった。

ついでに歌詞とともに拳を突き上げているのがダサく感じた。

おまけにこんな単純な曲を大衆がやんやと囃し立てているのすら胸焼けがした。

私とは相容れない感覚だ、とお高くとまった私は考えた。

私の好きだった、時に考え込むような、時に悩めるような詞を、複雑なメロディーに乗せてくるASKAはもういないんだ、彼は大衆迎合に走ってしまったんだ、と短絡的に考えた。

そして、その後数曲までは聴き続けるものの、急速に距離をおくようになっていったのである。

 

「SAY YES」から始まって「YAH YAH YAH」に終わる私の恋心、その間約2年半。

冷静に考えると、大衆がCHAGE and ASKAに酔いしれた期間よりも私のほうが短かった。

こう見てみると、「私のASKAに対する恋心」とは言っても、彼の作る音楽作品に対し、自分自身が求めている像を重ね合わせる部分が大きかったのだということがわかる。

折しも今日、フジTVの「ミュージック・フェア」でCHAGEさんたちが「YAH YAH YAH」を歌った。

今聴いてみれば、やはり高揚感のある曲だ。

多くの人を沸き立たせる魅力のある曲だし、シンプルではあるがそのように緻密に構成されたメロディーだ。

こういう客観性は、当時の私になかったので、すぐに見切りをつけてしまったのだ。

 

以降、二十数年間にわたって、私はCHAGE and ASKAの動向を追わなかった。

時折懐かしく思い出し、youtubeなどでかつて好きだった曲を聴き、「あ〜やっぱり『Trip』いいなあ」とか「『モナリザの背中よりも』、エロかわいい!」などと思うことはあっても、新アルバムを買おうと思うことはなかった。

youtubeでたまに新曲といわれて関連動画にあがってくるものを聴きかじっても、ちっとも良さがわからなくなっていた。

 

・・・二十数年後のあの時までは、である。

(続く)

出会い

このアカウントは、ASKAさんのブログのコメント欄に作品の感想等を書くために作った。

であるから、重い筆をとって、ASKAさんを知ったきっかけなどしたためたいと思う。

 

それは昔、私が初めてカラオケに行ったときのことだった。

一緒にいたうちのひとりが、「SAY YES」を歌ったのだ。

私はまったく音楽シーンに明るくなく、その曲を知らなかったのだが、ガーンと頭に衝撃をくらったようだった。

巻き込まれていくようなメロディだった。

また幸いなことに、それを歌った人は歌がたいへん上手かった。

聞き惚れるような歌い方だったのも、私にとってこの曲とのラッキーな出会いだった。

 

それから、気になり始めると、この曲は至るところでかかっているではないか。

当然ドラマも観た。良かった。

 

もっと他の曲も聴いてみたいと思っていたが、二つ目の幸いが私を助けた。

いとこがチャゲアス好きで、いくつかダビングしたカセットをくれたのだ。

そこからは、何度も何度もくり返し聴いた。

そして、CDレンタル屋にいって自分でもせっせと借りた。

とくに気に入ったCDは購入した。

一番のお気に入りは、ベストアルバムではあるが『The Story of Ballad』だった。

「迷宮のレプリカント」、「Far away」、「風のライオン」あたりがお気に入りだった。

短調ばかりではないか。

我ながら暗いやつだ。

ちなみに「天気予報の恋人」は歌詞に出てくる恋人に猛烈に嫉妬したので、嫌いだった。

なんとなくエロそうな歌詞なところが余計に腹立った。

「恋人はワイン色」は、別れた恋人を歌っているらしき歌詞だったのでさほど嫉妬心はわかなかったし、わいたとしてもメロディの甘美さには降伏せざるを得なかった。

 

私自身、自分はASKAの作るメロディーに惹かれていることに意識的だった。

Aメロ Bメロ Cメロ(サビ?)ときて、さらに展開を見せるDメロが入っているのだから。

世間には、AメロBメロだけで作られているような曲が五万とあるというのに、ASKAの作る曲にはメロディーがなんと惜しげもなくふんだんに使われていることか!

豊かな才能に満ちあふれているが、それだけでなく、不断の努力をしているのだな、ということがうかがえた。

 

 

 

そうこうするうちに、『GUYS』が発売された。

リアルタイムで発売されたばかりのアルバムを購入できたのは初めてだった。

これもまた、衝撃をくらった。

表題曲である。

しょっぱなから、キャッチーとは言えないが蠱惑的なメロディーが、どんどん展開されていくではないか。

しかも、展開されたまま元に戻ってこず、新しいメロディーがどんどん積み重なっていく。

 

それまでの曲は、なんだかんだ言ってもキャッチーなフレーズにちゃんと帰結しており、安心して聴けたが、逆にいえば大衆受けを狙いに行っている感はあった。

しかし、これはキャッチーさをかなぐり捨てている。

それが私の胸を撃ち抜いた。

よく考えてみれば、私はクラシックの中でも甘美な不協和音を奏でるラヴェルを愛好している。

安定した和音では物足りないのだ。

「GUYS」を聴いて、そうそう心の中で求めていたのはこれなんだよ!と思った・・・

いや、はっきりそう思ったかどうかはわからないが、最初の驚きと、その一瞬後にしっくり満足感がやってきた感覚は覚えている。

このアルバムは、その後も素晴らしい楽曲が続いている。

CHAGEの曲も、「だから・・・」や「夢」など、好きだった。

「if」がタイアップされていたので、Panasonicウォークマンを購入し、それでチャゲアスの曲を存分に聴いた。

それなのに・・・

近年『ぴあ』に載ったASKAのインタビューを見ると、ASKAの使っている(いた?)ウォークマンは、なんとSONYではないか。

だまされた・・・。