2年半の蜜月と酔い醒めの期間

ここ数日は、ASKAさんのMV「と、いう話さ」にかまけておりました。

 

さて、前回はいかにしてCHAGE and ASKAを好きになるに至ったかを語った。

まあ、その後はもっぱらASKAに恋していた。

こんな歳の差のおじさん(※)に夢中になるなんて自分も酔狂だと思いつつも、常にASKAのことを考えていた。

毎日テレビ欄に名前が出ていないか、隅から隅まで舐めるようにチェックし尽くしたし、ハワイに初めて海外旅行に行った折りには、同じ飛行機に乗り合わせていないかドキドキしたものだ。

芸能人はよくハワイに行くと聞いたもので。

今から振り返ると、芸能人がみんなハワイに行っているわけではないだろうし、ASKAはハワイにはあまり興味なさそうだが。

 

※当時の私の頭の中では、30代は完璧なる「おじさん」のカテゴリーに分類されていたものだが、ASKAに出会ってその定義を修正せねばならなくなった。小説を読んでいたとき、30代の主人公が「青年」と書かれていたことがある。母親に「30代は青年?」と確認をすると、「うん、まあそうだね」と同意を得たので、そこからはASKAは晴れて「青年」のカテゴリーに属すことになった。

 

しかし、コンサートには行くことができなかった。

人気のあまり、チケットがとれなかったのである。

あれは確か「史上最大の作戦」の時だったのだろうか、当時「ちょっと良いな」と思っていた子と公衆電話から電話をかけて、チケットをとろうと試みたことがある。

 

余談ではあるが、気の多い私は、心の中で常に「ちょっと良いな」と思う子を複数ノミネートしていた。

「ちょっと良いな」というのは、何が良いかというと、顔だった(大真面目)。

私は当時、トーマス・マンの『ヴェニスに死す』と、ヴィスコンティ監督による映画化作品にいたく影響を受けていたので、唯美主義だったのである。

件のその子は私と同じくCHAGE and ASKAのファンだった。

私たちは二人ともファンクラブには入っていなかったので、一般枠でチケットをとろうとして、受付開始時刻のちょっと前から電話をかけまくったが、開始時刻前にはまったくつながらず、0分になった瞬間につながった電話は、「売り切れました」との自動案内メッセージが流れるのみだった。

 

今から思えば、なぜそのチャゲアスの君とどうにかデートにでもこぎつけていなかったのだろうかと悔やまれる。

チケットがとれたら一緒にコンサートに行く気はあったのだから、デートもなんとでもなったはずだ。

しかし、(1)恥ずかしくて勇気がなかったのと、(2)唯美主義すぎるあまり、顔の造形をこっそり鑑賞する以外に特に何か行動をおこしたいという欲求をみとめなかったのと、(3)とはいえ、やはりASKAに恋する気持ちが勝っていたのとで、心の動きは言語化されないまま流れていってしまった。

今は、そのチャゲアスの君も、どこかで(当時ほど美しくないであろう姿で)ASKAの復活を願っているのではないか、と想像する。

 

そんなこんなだったが、私のASKAに対する恋慕は急速に温度を下げていく。

「YAH YAH YAH」がドラマにタイアップされ、CHAGE and ASKAの人気絶頂ともいえるヒットとなる。

これが、私の気に入らなかったのである。

「GUYS」のプログレ感とは打って変わって、わかりやすすぎるのだ。

シンプルすぎた。すぐ飽きた。歌詞にも共感できなかった。

ついでに歌詞とともに拳を突き上げているのがダサく感じた。

おまけにこんな単純な曲を大衆がやんやと囃し立てているのすら胸焼けがした。

私とは相容れない感覚だ、とお高くとまった私は考えた。

私の好きだった、時に考え込むような、時に悩めるような詞を、複雑なメロディーに乗せてくるASKAはもういないんだ、彼は大衆迎合に走ってしまったんだ、と短絡的に考えた。

そして、その後数曲までは聴き続けるものの、急速に距離をおくようになっていったのである。

 

「SAY YES」から始まって「YAH YAH YAH」に終わる私の恋心、その間約2年半。

冷静に考えると、大衆がCHAGE and ASKAに酔いしれた期間よりも私のほうが短かった。

こう見てみると、「私のASKAに対する恋心」とは言っても、彼の作る音楽作品に対し、自分自身が求めている像を重ね合わせる部分が大きかったのだということがわかる。

折しも今日、フジTVの「ミュージック・フェア」でCHAGEさんたちが「YAH YAH YAH」を歌った。

今聴いてみれば、やはり高揚感のある曲だ。

多くの人を沸き立たせる魅力のある曲だし、シンプルではあるがそのように緻密に構成されたメロディーだ。

こういう客観性は、当時の私になかったので、すぐに見切りをつけてしまったのだ。

 

以降、二十数年間にわたって、私はCHAGE and ASKAの動向を追わなかった。

時折懐かしく思い出し、youtubeなどでかつて好きだった曲を聴き、「あ〜やっぱり『Trip』いいなあ」とか「『モナリザの背中よりも』、エロかわいい!」などと思うことはあっても、新アルバムを買おうと思うことはなかった。

youtubeでたまに新曲といわれて関連動画にあがってくるものを聴きかじっても、ちっとも良さがわからなくなっていた。

 

・・・二十数年後のあの時までは、である。

(続く)

出会い

このアカウントは、ASKAさんのブログのコメント欄に作品の感想等を書くために作った。

であるから、重い筆をとって、ASKAさんを知ったきっかけなどしたためたいと思う。

 

それは昔、私が初めてカラオケに行ったときのことだった。

一緒にいたうちのひとりが、「SAY YES」を歌ったのだ。

私はまったく音楽シーンに明るくなく、その曲を知らなかったのだが、ガーンと頭に衝撃をくらったようだった。

巻き込まれていくようなメロディだった。

また幸いなことに、それを歌った人は歌がたいへん上手かった。

聞き惚れるような歌い方だったのも、私にとってこの曲とのラッキーな出会いだった。

 

それから、気になり始めると、この曲は至るところでかかっているではないか。

当然ドラマも観た。良かった。

 

もっと他の曲も聴いてみたいと思っていたが、二つ目の幸いが私を助けた。

いとこがチャゲアス好きで、いくつかダビングしたカセットをくれたのだ。

そこからは、何度も何度もくり返し聴いた。

そして、CDレンタル屋にいって自分でもせっせと借りた。

とくに気に入ったCDは購入した。

一番のお気に入りは、ベストアルバムではあるが『The Story of Ballad』だった。

「迷宮のレプリカント」、「Far away」、「風のライオン」あたりがお気に入りだった。

短調ばかりではないか。

我ながら暗いやつだ。

ちなみに「天気予報の恋人」は歌詞に出てくる恋人に猛烈に嫉妬したので、嫌いだった。

なんとなくエロそうな歌詞なところが余計に腹立った。

「恋人はワイン色」は、別れた恋人を歌っているらしき歌詞だったのでさほど嫉妬心はわかなかったし、わいたとしてもメロディの甘美さには降伏せざるを得なかった。

 

私自身、自分はASKAの作るメロディーに惹かれていることに意識的だった。

Aメロ Bメロ Cメロ(サビ?)ときて、さらに展開を見せるDメロが入っているのだから。

世間には、AメロBメロだけで作られているような曲が五万とあるというのに、ASKAの作る曲にはメロディーがなんと惜しげもなくふんだんに使われていることか!

豊かな才能に満ちあふれているが、それだけでなく、不断の努力をしているのだな、ということがうかがえた。

 

 

 

そうこうするうちに、『GUYS』が発売された。

リアルタイムで発売されたばかりのアルバムを購入できたのは初めてだった。

これもまた、衝撃をくらった。

表題曲である。

しょっぱなから、キャッチーとは言えないが蠱惑的なメロディーが、どんどん展開されていくではないか。

しかも、展開されたまま元に戻ってこず、新しいメロディーがどんどん積み重なっていく。

 

それまでの曲は、なんだかんだ言ってもキャッチーなフレーズにちゃんと帰結しており、安心して聴けたが、逆にいえば大衆受けを狙いに行っている感はあった。

しかし、これはキャッチーさをかなぐり捨てている。

それが私の胸を撃ち抜いた。

よく考えてみれば、私はクラシックの中でも甘美な不協和音を奏でるラヴェルを愛好している。

安定した和音では物足りないのだ。

「GUYS」を聴いて、そうそう心の中で求めていたのはこれなんだよ!と思った・・・

いや、はっきりそう思ったかどうかはわからないが、最初の驚きと、その一瞬後にしっくり満足感がやってきた感覚は覚えている。

このアルバムは、その後も素晴らしい楽曲が続いている。

CHAGEの曲も、「だから・・・」や「夢」など、好きだった。

「if」がタイアップされていたので、Panasonicウォークマンを購入し、それでチャゲアスの曲を存分に聴いた。

それなのに・・・

近年『ぴあ』に載ったASKAのインタビューを見ると、ASKAの使っている(いた?)ウォークマンは、なんとSONYではないか。

だまされた・・・。