リズムについて
数日前にCHAGE&ASKAの音源再販、ASKAのファンサイト開設等、朗報が舞い込んできたので、久しぶりに常々抱いてきた感想でも記そうかと思う。
我らがASKAのこれまでの楽曲で最大限の賛辞を送りたい点は、ズバリ変調である。
それも、ただ変調をするだけではなくて、大胆な変調をおこないながらもそれをキャッチーな仕方でまとめあげる力量、これが唯一無二だと考えている。
変調だけを追い求めるならば、プログレ等、それに特化したようなジャンルは存在する。
プログレでなくても、変調が特徴的な音楽は存在する。
が、それはアンダーグラウンドであることを運命付けられている。
大衆に向けて大ヒットすることはない。
しかし、ASKAはそれをやってのけた。
それゆえに彼の曲は、ほかのヒット曲とは異る趣きを帯びている。
ところが、自分がASKAの楽曲で惜しい!と感じる点がひとつある。
それは、リズムである。
彼はメロディーの人であり、優れたメロディーメーカーではあるが、リズムについてはあまりこだわってこなかったようだ。
ほとんどの楽曲が4/4拍子であり、変拍子になることもない。
記憶の限りでは、「夜のうちに」が3/3拍子なくらいか。
(間違いがあればすみません)
ASKAの曲は、誰もがそのメロディーの良さを認めながらも、全盛期から今日にいたるまでどこか「ダサさ」「垢抜けなさ」が拭えないと指摘されているように思うが、自分は、このリズムの単純さに由来するのではないかと見る。
今日、届いたDADAチューニングスピーカーで、Radioheadの「Bloom」を聴いていたのだが、このスピーカーのおかげで、異るリズムが同時進行しているさまが如実に聴き取れ、興奮モノであった。
カッコいい!!
であるからして、先日ASKAがブログで3拍子の曲を作っていると報告していたのは、大いに楽しみだ。
是非とも今後もリズムについてもこだわりを見せていただきたい。
なんなら、「Take 5」みたいに5拍子でもいいし(カッコいい!好き!!)、ストラヴィンスキーばりに7拍子ー10拍子ー11拍子とか無茶苦茶に移りかわる変拍子をぶっこんでくれてもいい。
ただし、ASKAがASKAであるためには、そんなこだわりをもってしてもあくまでキャッチーな曲にまとめあげてもらうことが必要となるだろう。
ものすご〜〜〜く勝手な無理難題を言っていることは自覚している。
誰ができるんだ、という話だ。
しかし、ASKAはハードルを上げると燃える人間だと自らのたまわれているので、大幅に期待値をあげてみた!
『Too many people』
私が7月に投稿した記事のしめくくりには、不起訴後のASKAが発表した『Too many people』への期待と不安を記しつつ、
「それについては、それから約2ヵ月経ってわかるのである」
なんて、次回の更新ではこのアルバムの感想を書きますよ〜といわんばかりの伏線を敷いた。
それから2ヵ月あまりが経ってしまった。
今年の2月。
このアルバムの発売日に、Amazonから届いたアルバムを正座せんばかりに聴いた時のことを思い出してみよう。
それはもう、大変な緊張ぶりだった。
事件以降ASKAが作る音楽を聴くのは「FUKUOKA」ぐらいのものだったので、ちゃんとした曲を作れているのか?という初歩的なところから心配だったわけ。
もしあまり出来のよくない曲ばかりだったら、がっかりだからね。
さて、正座しながら再生ボタンを押した一曲目は、すでにyoutubeで発表された「FUKUOKA」だった。
以前にも書いたようにこれは私の好みの曲調ではないため、緊張はまだ解けないままだった。
やはり動画サイトで聴くよりも、CDで聴いたほうが音の広がりがあるなぁ、ぐらいの感想。
二曲目の「Be free」もすでに動画サイトにあがっているデモを聴いたことがあったので、新鮮さには欠けたが、やはりとても壮大な展開をみせる曲であるため、終わるころには少しずつ気持ちが高揚していたようだ。
このウォーミングアップを経て、そこから三曲目「リハーサル」に入った瞬間。
ギターの音。
イントロからぐっと胸を突き上げるものがあった。
それでもしばらくは押さえ気味にAメロが続く。
ところがサビに入ると、攻めの姿勢に一転する。
逮捕、矯正入院、再逮捕を経てさえも、ぜんぜん大人しくおさまっていないASKAの「俺はまだまだ現役なんじゃコラー!」という叫びが伝わってくる。
アーティスト魂、健在。
不思議なことに、ここで私は涙する。
まったくセンチメンタルな曲調ではなかったにも関わらず。
だが、後にAmazonのコメント欄などで、ここで涙したのは私だけではなかったことを知った。
同じようなメッセージを受け取ったリスナーがいるということは、ASKAの、メッセージを音楽にのせて伝える力というのは、衰えていなかったことが証明された。
アルバムはその後も、楽しい系、切々と訴えかける哀歌系など、豊かな彩りを見せてくれ、ASKAがこの一本に渾身の力をこめただろうことが察せられた。
ただし、前々から私が話題にするASKAの転調について言えば、実はこのアルバムではさほどその楽しみはない。
しかし、逮捕等でファン以外の一般人からも注目を浴びた後に発表する作品では、そういうマニアックな曲調よりも、一般受けのするシンプルなコードを全面に押し出していくほうが正解だ。
「FUKUOKA」しかり。
それを理解しているファンたちは、狙いによってコード展開のTPOを使い分けるASKAの戦略にたいしても、ひそかに賛辞を送ったものと思われる。
少なくとも私はそうだ。
全曲が終わった頃には、すっかり感服していた。
なお、「リハーサル」で涙した私ではあるが、一番好きな曲は「と、いう話さ」。
始まった瞬間、いつものASKAとはちがう声質に、新鮮な驚きを覚えたからだ。
このような試みも、新しい引き出しが一個追加されたようで楽しかった。
ASKAの夏の活動をふりかえる
油断してしまった!
つくつくぼーぅしっ。
何も書かぬままにあっという間に夏が流れ去った。
このブログは「リハーサル」のMVで止まってしまっているが、ASKAの活動は絶好調に盛り上がっている。
『Too Many People』から「通り雨 ASKA - YouTube」のMVも発表されたし、10月発売予定の新アルバムからは「オレンジの海 ASKA New ALBUM 作業過程報告 - YouTube」と「塗りつぶして行け ASKA New ALBUM 作業過程報告 - YouTube」が発表された。
アルバムがリリースされたら、完成形と聴き比べが楽しめるという。
他のアーティストでも、完成版が出たのちにデモ版が出るということはよくあるが、先にデモを出すというのは確かに珍しいかも!
それから、これこれ。
「君が、作詞作曲してみな! ASKA - YouTube」。
ASKAが公開した「Fellows」カラオケバージョンに、音楽を志している人たちが自作の歌をつけてみるという企画。
これも新しい試みなんじゃない?!
ついに今から約1時間後に、ASKAバージョンがダウンロード配信されますね。
それから『Too Many People』から「未来の勲章」のMV撮影がyoutubeで生中継されるというイベントもあった。
私自身は、夏の恒例行事となりつつある海外滞在の合間を縫いながらこれらの精力的な活動を追っていた。
ちょうど昨年の夏、ホテルでASKAのブログを発見したことを思い返すと、なんと盛りだくさんの1年だったことよ、としみじみ。
あの頃はASKAは精神病院から出て来たばかり。
「アルバム出す出す言ってるけど、ASKAの妄想か・・・?」と、みんな半信半疑だったからね。
さて、楽しみに0時を待つこととしよう。
ASKAソロMV・・・「リハーサル」!
きました!
おそらく新アルバム『Too many people』を聴いた人々が、一様にこの曲でグッとこみ上げてくるものを感じたであろう「リハーサル」!!
出だしは、「あ〜「しゃぼん」と同じパターンかぁ・・・」と思わせておいて、バーン!と一気にライトが点くあたり、素晴らしい演出です。
アルバムの曲順では「リハーサル」が3番目、「しゃぼん」が最後なのですが、アルバムとは異なる順序でMVを出して来たのは、ちゃんと計算されているなぁという気がします。
(意図されてのことかどうかは知りませんが、受け手が受け取る効果に制作者の意図は関係ないのである!)
5分21秒あたりでネクタイをさりげなくしまいこむところがツボです。
奇跡の不起訴
衝撃の再逮捕から、毎日のようにこれまで知らなかったASKAの曲などを発掘しながら(はるかな国から - YouTube)過ごした3週間。
もしこのまま彼が出て来なかったら、彼が残していた作りかけの新アルバムを、誰かがデモテープとしてでもいいから世に出してくれる可能性はあるんだろうか、とまで考えを巡らした。
70%ぐらいは希望を失いかけていた。
しかし、彼は出て来たのである。
12月19日、不起訴釈放。
不起訴になれば良いと思ってはいたものの、本当に驚きの展開だった。
再逮捕はまず十中八九実刑になるだろうと言われていたからである。
再逮捕に際して一方的なリンチをおこなっていたマスコミは阿鼻叫喚だっただろう。
なんというか・・・ASKAって、すごい不運とすごい強運の両方の星のもとに産まれてきた人なんだろうか。
普通の人が遭わないようなひどい目に遭う上に、普通の人が遭わないような超ラッキーな目に遭う。
アップダウンが激しい大変な人生だ。
だが、それだからこそ、良い曲が産まれるのかも知れない。
不起訴からたった数日後のクリスマスに、彼はyoutubeに新アルバムから初めて曲を公開した。
それもすごいことだった。
警察に拘留されているあいだ、よっぽど中断された仕事のことを考えていたんだなぁ、と感心する。
不起訴になって間髪を入れず仕事に戻ったように見える。
私はちょうどそのyoutubeを旅行先の旅館で聴いた。
私にとっては素直すぎるメロディーで、ちょっと物足りないぐらいだが、ということは大衆に受けるということだ(自分、傲慢)。
この動画はあっという間に100万回再生を達成した。
そして好評を博した。
そのことはとてもとても嬉しかった。
ただし、一抹の不安は感じた。
この後ASKAが出す新アルバムは、すべてこんな感じなのだろうか?
素直で、さらっと聴き流せてしまうようなメロディーの曲で・・・?
かつてのような「どうしてそうなる?!」というような転調はなりをひそめるのだろうか・・・?
それについては、それから約2ヵ月経ってわかるのである。
MV第三弾!
ここんとこ忙しくてちょっと出遅れましたが、第三弾のMV、出ましたね!
「東京」、わりとわかりやすいメロディーですが、歌詞カードに最初に眼を通したときは、こんなに陽気なメロディーだとは想像していませんでした。
衝撃の再逮捕
ASKAのブログを追い始めてから、数ヶ月が経った時のこと。
新しいアルバムをリリースします、との報告がブログにあがり、ファンは大きな期待とちょっぴりの不安で浮き足だっていた頃だった。
あの衝撃の日がやって来た。
2016年11月28日。
ちょうど引越しの日にあたっており、私は旧居の家具類を全て梱包して、引越屋が来るのを待っているところだった。
パソコン等もすべて梱包してしまったので、携帯を持ってちーんと椅子に座っていた。
ふと何気なく携帯に眼をやると、「ASKA元被告 覚醒剤使用容疑で逮捕へ 警視庁」というテロップが流れている・・・!
(新着ニュースがテロップで流れる仕様になっている)
はぁ?!
なんじゃそりゃ?!
・・・急いでASKAのブログを開いてみた。
更新されたばかりのようだ。
さらに私の目の前で、次々と更新され続けている。
「なあんだ、やっぱり嘘か。逮捕されてないじゃん!」
と思ったが、いや〜な動悸が止まらない。
逮捕状もまだ出ていないようで、「これから逮捕状を請求する」段階のようだったが、それなのになぜこんな情報が流れるのか。
そうこうしているうちに、引越屋が来てしまったので、私はともかく全てを積み込んでもらい、自分自身も新居へ向かって移動した。
新居ではまだテレビが開通していないので、とりあえず一晩を越せるだけの最低限の荷物をほどいたり、夕飯を食べに行ったりして慌ただしい時間を過ごした。
ひと段落ついてから、Wi-Fiを使ってインターネットにつなげると、すべての惨劇は終わった後だった。
ASKAは警察がいることを知りながら自宅に戻ったこと、自宅ではマスコミがハイエナのようにたかっていたこと、その中を警察に連れられていったこと。
情報を後から追いかけながら、あまりのひどい仕打ちに悔しさがこみ上げて来た。
何度思い返しても、この日はおかしいことだらけだった。
逮捕状も出ていない状態で、なぜNHKはASKA逮捕の速報を流したのか?
民放がすっぱ抜いたのではなく、NHKが流したということは、警察がわざと情報を流したのか?
ASKAの身柄を確保する前に、なぜその情報を流したのか?
ASKAが自ら戻って来たから良いものの、逃げられるということだってあり得る。
案の定、速報から実際の逮捕までは何時間も経過しており、マスコミがどんどん増えてしまっている。
わざわざマスコミを集めたかったのだろうか?
その中で大々的に逮捕劇を演じたかったということだろうか?
それは、集団リンチとでも言うべきものではないだろうか?
色んな人が指摘するように、この日の出来事は普通でないことだらけだった。
こういうことがあると、警察の政治的な思惑を深読みしてしまいそうになる。
そうすると、警察に対して不信感が生まれる。
警察を信用できない国って、不幸ではないだろうか?
もしやるならやるで、逮捕状を取り、身柄を拘束できる目処がついたところで、情報を流してほしかった。
もし粛々と逮捕していたならば、警察に対してそこまで不信感は抱かなかっただろうに。
ともかく、みぞおちにパンチをくらったような衝撃を受けた日だった。
考えてみれば、最初の逮捕の時、ファンはこういう気分だったのだろうか。
更にひどかったのは、翌日以降のマスコミによる扱いだった。
もう反論できないだろうと思われる人をターゲットに、すべてを悪意でねじ曲げて優越感に浸っていた。
あれは完全に、喋れない人をサンドバックにして殴りつけてストレスを発散している図だった。
端的に、いじめだ。良い大人がよってたかっていじめていた。
あんなことが許される社会であってはならない。
ターゲットが罪人であれば許されるのか?
いや、そうではない。罪人であろうがなかろうが、人を傷つけるのは許されないことだ。
基本的人権とはそういうことだ。
そんな基本的なことも忘れたのだろうか、この社会は?
そのうえ、ASKAのケースは、罪人であるかどうかすらわからなかった。
推定無罪の原則を、学校で習ったことがないのか?
あの時のマスコミは、本当に子供たちに顔向けできない恥ずかしいことをした。
人間のもっとも悪しき一面—いじめ―を、集団で公にまき散らしてしまったのだから。
警察とマスコミは、許されないことをしたのだと、心から反省してほしい。
これは、万一ASKAが有罪であったとしても変わらないことだ。切り分けて考えるべきことだ。
付け加えるなら、万一ASKAが覚せい剤をやっていたとして、その犯罪は個人的なものだし、被害を被るのは彼の周囲とファンだ。
一方、警察とマスコミは公的な存在であり、公的な存在がこういう行為を行ったという事実は、潜在的にすべての市民もこのような被害に遭う可能性がおおいにあるということを明らかにしたのだ。
いわば、公的な暴力だ。
・・・いかんいかん、またまたカッカしてしまった。
このような感じで、11月末から12月にかけての私は、ASKAの新アルバムはもう聴けないかもしれない!という個人的な苦痛と、社会に対する義憤とで、まんじりともしない日々を過ごした。
そんな日々、発見したASKAの曲がある(まだまだ未発見の曲はたくさんある、20数年離れていたのだから)。
ASKAソロ「はるかな国から」(1995年)。
いじめを苦にして死んでしまった中学生のニュースを受けて書かれたものだそうだ。
いつもながらの豊潤な転調メロディーは言わずもがな、歌詞も素晴らしい。
単純に「頑張れ、生きろ!」みたいな、外から視点の鈍感な励ましではない。
「わかるよ、死にたくなるよね」みたいな、共感しすぎておもねった歌詞でもない。
ASKA自身の立っているところから、可能な限りいじめの被害者の感じていることを想像して寄り添い、それでもなお、自殺はダメなんだ、と腕をひっぱって引き戻そうとするような歌詞である。
11月28日からの日々はこれを聴きながら、起こった事件に重ね合わせて、はからずもおいおい泣いてしまいましたよね・・・。